美麗島から世界へ──日台作家対談
 
 
 
 
白水紀子:

本日司会を務めさせていただいている白水紀子と申します。よろしくお願いします。通訳してくださる方をご紹介いたします。日本語から中国語へ通訳してくださる黄耀進さんです。中国語から日本語へ通訳してくださる張文菁さんです。台湾の作家との対談へ入るまえに、今回台湾の国家文化芸術基金会の孫華翔副執行長にご挨拶をお願いします。

孫華翔副執行長:

皆さん、こんにちは。本日は台湾から巴代先生、呉明益先生、蔡素芬先生が来てくださって、江国香織先生も来てくださいまして、そして日本の読者の皆さんが来てくださいまして、本当に嬉しいと思います。今回のイベントは、本当に珍しい機会で、台湾からの作家と日本の作家がこの歴史のある八重洲ブックセンターで集まって、対談を行うことはとても貴重だと思います。今回のイベントは、台湾の国家文化芸術基金会と台湾の文訊雑誌社に共同に主催されて実現することができました。私たち国家文化芸術基金会というのは、台湾のアーティストと創作者の作品を海外へ進出することを支援して、二十年の歴史があります。今回のイベントを一緒に主催していただく文訊雑誌社は、台湾の重要な文学雑誌社とメーデイアで、既に三十年以上の歴史が持っているのです。文訊雑誌社が出版している『文訊』という雑誌は、台湾の文学を知るための重要な雑誌です。

今朝は地震がありましたね。その地震で、私が思いましたのは、台湾と日本は共通な面や課題が多くありまして、たとえば、環境や生態の課題、倫理と家庭の関係、家族の歴史、族群へのアイデンティティなど、日本と共通しているところが色々とあります。今回も、是非、この機会で日台の対話と関係をもっと進めていきたいと思います。(05:26)本日、黄英哲教授、林水福教授、通訳の先生、白水社の方、そして場所を提供してくださる八重洲ブックセンター、どうもありがとうございます。そして、出席してくださる作家の方々もこれからもっと素晴らしい作品を創作していただきたいと願い、読者の皆さんもこのイベントを通じてもっと台湾のことを知って、もし機会があれば、是非台湾に遊びにきてください。ありがとうございます。

白水紀子:

ありがとうございます。文訊雑誌社の封徳屏社長にご挨拶をお願いします。

封徳屏社長:

文訊雑誌社の封徳屏です。本日、こちらに来られたことは、とても嬉しいと思います。台湾と日本は、とても深い関係を持っていて、今回のイベントは私たちにとって大事なものです。皆さん、ありがとうございます。

白水紀子:

ありがとうございます。それでは、改めてご紹介させていただきます。こちらは江国香織先生です。そして、台湾作家の巴代先生、呉明益先生、蔡素芬先生です。

江国先生につきましては、改めてご紹介することではないですが、江国先生の作品は台湾でも出版されておりまして、私の調べた限りでは、台湾では長編作は二十部以上、短編集は七冊、エッセイ集も二冊出版されております。本日、台湾の作家の皆さんには、江国先生の作品の中から『真昼なのに昏い部屋(像樣的不倫人妻)』、『抱擁、あるいはライスには塩を(擁抱,或是飯上撒點鹽)』、そして、『金米糖の降るところ(金米糖灑落的地方)』その三冊の作品に実際に読んでいただきましたので、台湾の作家の皆さんにご自身の作品を紹介して、同時に江国先生の作品についてそれぞれの感想を語っていただければよいと思います。

江国先生にも台湾の作家のそれぞれの作品を読んでいただいております。巴代先生の『タマラカウ物語』上下二冊と呉明益先生の『歩道橋の魔術師』、それから蔡素芬先生の『明月』と『オリーブの樹』を読んでもらいますので、その作品の感想を語り合っていただきながら、日本と台湾の作家が自由な対談という形になっております。 それでは、台湾の部分に入る前に、私の方から作家をご紹介させていただきます。簡単な紹介ですが、一名ずつ紹介させていただきます。まず巴代先生からです。巴代先生は台湾の東の台東のご出身です。台湾では、漢民族のほかに、十六族の原住民族がおりまして、台湾の人口の2%に占めておりますが、巴代先生はその中の卑南族のご出身です。日本語では「原住民族」とか「部落」などは差別的な言葉ですが、日本語では「先住民族」と言いますげと、台湾語では「原住民族」といのが正式な名称でございますので、ここでは「原住民族」とか「部落」などの言葉を使わせていただきます。今回の対談でご紹介されている『タマラカウ物語』は、まさに巴代先生のご自身の部落を語る歴史小説です。巴代先生は以前、職業軍人と大学講師として勤めていましたが、現在、部落の文化と歴史を研究している専業の作家で、とても活躍しています。

次は、呉明益先生です。呉明益先生は、1971年ご出身の台北人です。今回ご出席いただいた巴代先生、蔡素芬先生、そして江国先生は1960年代初めての生まれですが、呉明益先生は皆さんと十歳年下です。現在は東華大学の教授で呉明益先生は台湾の若手作家の「本部(中枢)」でございます。今回の対談でご紹介されている『歩道橋の魔術師』は和訳されていて、もう既にフランス語に訳しております。呉明益先生の代表作である長編小説の『複眼人』とか『単車失竊記』は、その一年や二年間に日本で和訳本を出版することになっております。

続きましては、蔡素芬先生です。蔡先生は、台湾の南の台南のご出身で、創作の傍ら、文芸関連の編集者として勤められて、現在、『自由時報』の編集長です。日本語に訳されました『明月』は1993年に発表された作品で、その後、第二部の『オリーブの樹』は1998年、そして第三部の『星たちが語り合っている(星星都在説話)』は2014年に完成して、このきっかけに、『明月』の二十周年を迎える共に、この『明月』三部作を完成しております。1993年に発表された『明月』では、第二次世界大戦の前にずっと台湾に住んでいる人は「本省人」と呼んでいます。その本省人の女性作家が塩田で働く労働女性を描いたというので女性文学の分野でも注目されております。それから2009年には長編小説を発表されました。これは大変な注目を受けて多数の賞を受賞されております。

江国香織:

まず、今回の三人の本をまとめで読んで、短い時間で次々読んだんですけど、本当に旅をしていたみたいな、とても面白い経験だったので、そういうチャンスを与えて下さった方々にはとても感謝しております。まずは巴代の物語です。これは上下2カでとても長い作品で台湾の原住民の部落の話しです。読み始めて、すごく子どものごろに夢中になった冒険の物語を思いだしたり、あとは、ファンタシーですね、子どもの本で、幻想ようなもの思い出しました。この中でいろんなところが面白いですけど、中でも一番驚いたのは、この部族の人々たちの暮らしぶりは、すごく洗練されていることでした。(03:14)たとえば、その百年前くらいの話しです。まだ、裸足なんですね。みなは、靴を持っていない。草鞋の編み方をマスターしようという段階なんです。しかも、狩りをして、獲物を食べるわけですけど。取ってさばって焼いて食べただけじゃなく、何で包んだり蒸したり、味を色々付けたり、後は、女の人たちが暑い時にトマトスップを作り、その中に何か入っている。靴が履いてないのに、そんな凝ったものを作ったって、という一つです。

そして、男女の関係もとて進んでいるということを、本の中で漢民族はとても男尊女卑で、嫁さんはすごく辛い目に遭うんですけど、日本も昔そうだったりしましたけど。同じ時期にこの人々は、部族の中に、女の方が強っかたり、社会での役割分担はとても冴えていている。少年少女の恋もあれば、結婚するかないかという人の恋があれば、それから、結婚していて長老といわれるような男性の夫婦関係もあって、男女のありというのも、本当に進歩的ですねと思いました。このままずっと言っているのは、なかなか終らないですね。でも、他には、戦ったり、首を刈ったりするのも、もちろんこいうことは血をいっばいに出る場なんですけど、でも、豊な物語。今の暮らすとは、時間の流れ方も、場所も違いますけれども、本当に豊な物語っていっているのが素敵なんです、是非読んでいただきたいです。

白水紀子:

江国さんのご自身の作品の中にも、食べものとかについて、色々書いたんですね、その部分も巴代の作品と同じですね。そして、母系社会、その部分は、なぜ漢民族の社会とは違って、あとはお伺いしたいと思います。

巴代:

まずですね、江国先生の質問について答える前に、私の本を訳して下さった魚住悦子先生を紹介したいと思います。食べものに関するのは、本の中で結構語ったんですけど、私にとっては、色々なジャンルを書かれている作家たちが自分の作品を語っているのは、とても光栄なことで嬉しいと思います。

白水紀子:

そして、呉明益先生の作品について、(江国先生)コメントをください。

江国香織:

とても好きな小説でした。これは少年たちの話なんですね。素敵な作品で、小説として高度が高いです。色んな主人公がやってきて、それが最初は明確ではないです。あのパターンだけで呼ばれていたり。全体が見えないまま、その少年たちの生活が少しつづ進んでいるという仕掛けになっている。うまく説明できないですけど、長屋っぽい作りの建物があってそこに跨道橋が架かっているんです。跨道橋の上で手品を持っているマジック師がいっていろんな手品を売っている。少年たちは、皆それぞれそのマジック師に出会って、マジック師はわりと安いものを売っていて、彼に道具を買えば、マジックを教えてられる。あくまでも普通なマジック師であって特殊な能力がなくてとても普通な人間です。でも、とても不思議なことが所々に起きて、皆に読んでもらていたいですけど、それがこことそこ、あるいはどうな人の人生にもたまに説明が付かないことが起こるっていう、すごく不思議なことが起こります。(14:15)すごく好きたんだのは、ある物語の中でトイレとエレベターに関係するという場面なんですけど。それが言っちゃおうと、あの感動をそれから読んでいる方に対して、もしかして破壊するなので、言えませんが、多分、いったん読んだら、一生忘れられない場面です。少し昔の話です。1980年代くらいの話で、その頃の台湾の街の気配とか匂いとか色とか、とてもビビドです。もちろん少年たちの話で、その少年たちがとても魅力的です。よく日本でも「この女の子をいじめするのが好きだから」、それが全然分からないと思ったんですけど、それを読んで、男の子がちょっと気になる子とか好きな子をいじめしたりかと思ったら、急に優しくなったのという気持ちがこのシーンで初めて知りました。これは時間っていうテーマと、変わるもの、変わらないものっていうテーマが、薄らき、目立たない風に綺麗に流れていて、これも是非皆さんに読んで欲しいです。

白水紀子:

おそらく、江国さんが呉明益さんの作品について、いろんな共鳴と感想があるのは、江国さんの作品にも、こういう風に少年少女の様子と転換段階を多く書かれているでしょう。では、江国さんの感想について、呉明益さんがどう思いますか、お伺いしたいです。

呉明益:

今日ここに来られたのは、とても嬉しいと思います。私にとっては、日本に対する感情はとても複雑なもので、実は、私の父親は半分日本人です。(19:32)私の父親の十三歳のときは、ちょっと二次大戦です。当時、父親は少年兵として神奈川にやってきたことがあります。ですので、私は中国語を学ぶ前に、私の父親はまず私に日本語の「あいうえお」を教えてくれました。この小説の場所ですね、実は台湾の台北駅にとても近くて、八十年代から九十年代の台湾に日本の方が訪ねたことがあれば、きっと私の実家の辺(中華商場)に来たことがあります。当時の日本人は、私たちにとっては、北から来てとてもお金持ちの観光客で、私たちはいろんなそっくり物を作って、彼らを騙しだんです。とても思いつかなかったのは、三十年経ったあと、私はこうして日本に来て江国先生が自分の育ち時代の話に感想を述べてくださったことがとても意外でした。江国先生が私の作品を読んでくださったのは、とても光栄です。多分、当時出会っていたあのマジック師が私に魔法を掛けたんでしょう。

白水紀子:

次は、蔡素芬先生の作品について、(江国先生)コメントをください。

江国香織:

これ(『オリーブ』《橄欖樹》)は大体今の(『歩道橋の魔術師』《天橋上的魔術師》)と同じくらいの時代の話なんですが、これは(台湾)の女子大学生の話なんです。私も八十年後半の大学生です。この時代の台湾の大学生たちがどう言う風でしたのは、新鮮だった。小説の中の学生たち、主人公たちは、エネルギーがすごく多いですね、その頃の日本の大学生にはないエネルギーって。もちろん勉強もすごく進んでいて、ダンスが大好きだったり、服装のファションも大好きだったり、日本では大体七十年代くらいや六十年代はそういう、服装のファションがしたったり、歌を歌ったりしたという年代もありますけど。これはこんなにそういうエネルギーで若い人たちがいた台湾というには、私は当時の台湾には行ったことがなかったので、この小説を読んで極めて面白かったです。例えば、中秋銘月のとき、主人公のボイフレンドが主人公に「何のテレビ番組を見ているのか」主人公は、「私、見ていない。台湾語が分からないし」。同じ台湾の人でも、言葉が聞くと、いくつもあるんですね。だから、一瞬会話が成立していて同じ台湾の仲間でも、ことばが間違ったりするんだっていうことが新鮮でした。そして、さき説明していただいたように、この小説は大河小説であって、全作でこの主人公のお母さんも、お父さんも、お兄さんも出てきます。こんな大きな構想は、私が知らずに読みはじめたのにも関わらず、彼女(主人公)に対して優しいお兄さんですが、お兄さんは家族のために大学がいっていないです。そうなお兄さんに対して、彼女が大学に行って、いわば自由に恋をしたり、友たちと遊んだり、でも、時々お兄さんに対して切なくなってしまう感じとか、お母さんに対して感じる気持ちというのは、この一冊を読んでいてもとても印象的でした。この主人公の周りには、いくつの男性がいるけれども、この人が好きだったり、この人に振られたり、少しかげのある男性と、体の筋肉がよく格好のいい男性、男らしい男性とか、いろんなタイプの男性がずっと彼女のそばにいて、どれを選ぶのか、あるいはどれを捨てるのか、どれと結婚するのかっていうのか、これは(この小説を)読んでいる方のためにいま言いませんけど、「それしかないだもん」という結末です。最後には、また食べ物の件ですけど、この小説の中に喫茶店が出でくるんです。これは主人公がアルバイトしている喫茶店です。ウェイトレスのバイトじゃなくて彼女は歌のバイトをしている。その店で特製のスウィートトーストという名物が出てきてこのトーストを食べてみたいと思って、今度自分でやってみたいと思います。

白水紀子:

それでは、江国さんの感想について何か答えようと思いましたら、蔡先生にお伺いしたいです。

蔡素芬:

ありがとうございます。江国先生が、私とも三人の作品を本当に詳しく読んでいただいてとても感謝いたします。今回先生に読んでいただいた『オリーブ』ですね、確かに八十年代の大学生の話です。その時の若い人の理想は一体に何だろうか。その前の世代、そして次の世代とは、どう違うのか、それについて、絵描きたいです。八十年代のときは、ちょっと台湾の経済は比較的に安定で伸びていて、九十年代までにはこういう台湾の経済はこういう状態です。八十年代の若い人はその安定の社会では実はある(民歌)運動が起きたですね。実は、八十年代の台湾はまた戒厳のときで、私たちはまだ海外に自由に行けないです。その時は、西洋の音楽と映画が、若い人に大きな影響を与えたんです。その時の若者は理想したり、夢を見たりしています。この中では、やっぱり台湾から離れて海外へ行くことという理想や夢を抱えるんです。その人たちは、台湾の外で知識を得て世界を開くという夢を見ているです。この小説は、一応この時代を背景として、私は本当に書きたいのは人とこの時代はどのようなリアックションを起こして反応していくことを絵描きたいです。当時の八十年代の台湾のキャンパス生活は今のと比べると、大分違うと思い、いまからその年代を見ると鮮明な対比になるではないかと思います。ですから、これからもこのテーマを探しつづけていくのは、いまの私の目標です。

白水紀子:

ありがとうございます。これから台湾の作家に、江国さんの作品について、お感想を伺いしたいと思います。まずは、巴代さんに江国さんの『真昼なのに昏い部屋(像樣的不倫人妻)』について感想を述べていただきたいです。

巴代:

実は、私は新幹線の中で江国先生の『真昼なのに昏い部屋』を読んだんです。その時、私の周りに、薄い化粧をしているまつげの長いというタイプの女性が多くいて、その女性たちは、私が読んでいる本をじーと見ていたら、クスクスと笑っていたんです。当時、私、とても気になっていたんです。実はその場で、居心地が悪くなると感じて、恥ずかしくなってしまいました。なぜならというと、私のような男らしい人は、なぜこういう恋愛や結婚に関する小説を読んでいるのか、しかも、江国先生の作品なんです。この本は、主人公である美弥子は、夫•浩が自分に対して関心しないので、他の男と不倫関係に発展していくという話です。江国先生はこの小説で主婦が持つ情熱も書いたですが、既婚男性のあり方も指摘している。私のような五十年代や六十年代の男性は、結婚生活の中で、やはり妻がしてくれるすべてのことを当たり前と思っている。この本で書いたように、実は、旦那さんの方がよく奥さんの気持ちを無視して、奥さんは色んなことを旦那さんに相談したいのに無視されていしまい、真面目に聞いてもらえないという状況が多いです。それなのに、旦那さんはよく赤ちゃんのように奥さんに全面的に依頼しているという状態があります。ですから、この本のテーマですね、既婚男女は、夫婦関係とお互いの気持ちを慎重に考えなければならないと思いました。ですので、最初、私は、もしかして、新幹線の中に、あの美しい女性乗客たちも私のことを浩のようにダメな夫と思われたんのではないかと考えたんです。でも、実は、私は見た目とは全然違って男性ならの優しさを持って、女性に対しても優しく思いやりのある男性なんです。ですから、男女を問わず、もっと江国先生の本をじっくりと読んで、男女関係のあり方をもう少し考えて欲しいです。

白水紀子:

ありがとうございます。巴代さんのように、男性としての立場でこの小説を読んで感想を述べてくださってよい勉強になりました。この小説は、『日本週刊現代』という雑誌で連載されていて日本男性を対象読者していたんです。日本の男性もこの小説を読んで、巴代さんのような夫としての感想と皆さんに分け合いましょうか。

江国香織:

『日本週刊現代』で発表したんだですが、でもこんなに柔軟で素直に伝えてくれた男性読者が私の周りにいなくて、この本を読んで「怖い」といた感想は、私の周りに一番多いと思っています。この小説を書いたとき、普通の小説の文体で書いたのではなく、絵本のような書いてきたものです。しかも家庭外、いわゆる不倫関係を書いていて文体の転換によってよくあるや普通のことを書いてみました。この書き方は、ちょっとした試しです。このような文体で、どの国のことばで訳されたら、どうな風になっているのかと考えてきました。そして、巴代さんがこの本を読んでどう感じてなさったのか。違和感がなく普通に読んでいたんでしょうか。もし他の感想がありましたら、教えてくださえば光栄です。

巴代:

特にない(違和感など)ですけど。実は私、昔からこういうタイプの小説が好きで、優しい心というものも切り立たれたんですね。ですから、違和感など、全く感じたことがないです。(48:32)この本を読んでいて、私が感じたのは、美弥子という女性の絵描き方です。江国さんが美弥子を単純で天真爛漫のキャラクターとして絵描いたんですね。このような主婦はどうのように不倫しているのを書いたのは、一種の策略ではないでしょうかと私が思いました。

白水紀子:

さきほど江国さんがおっしゃた文体というのは、児童文学みたいな方法で書いて、でも内容は不倫の話です。こういうギャップはすごく効果が発揮して、余った不倫の小説の中ではそのような形で書けたのは、すごく特別だと思って江国さんの作品は鑑別度があると思います。翻訳の場合、どうでしょう。しかもこの作品は、ベテランの訳者が訳されたので、巴代さんは小説を読まれたとき、この特別なところ(文体)を感じませんか。

巴代:

特に文体というのは、実はですね、あまり感じたことがなかったです。この小説を読んでいる間は、ただ物語の流れを主に読んでいたので、ですから、美弥子のキャラクターだったりとか、浩のその婚姻の中の状態などという衝突感は、意外と動きがありましたと思いました。

白水紀子:

ありがとうございます。ちょっと時間が過ぎましたので、次は呉明益さんから『抱擁、あるいはライスには塩を』について、感想をお願いします。

呉明益:

時間の関係で、江国先生の作品についてなるべく短く話させていただきます。私のこの世代の作家は、実に台湾文学から受けた影響が少なく、おもに海外の作品に育たれたので、特に西洋の作品に大きな影響を与えたんです。日本の作家の作品を読んで、台湾の作品と比べると、その一つは、日本の作家は、対話によってそれぞれのキャラクターが物語を絵描いていくような感じです。もう一つは、台湾作家は、食べ物について書くのは少なく、それに対して日本の作家は江国先生のように、食べ物について書くのは少なくない、作品のなかで、食べ物の役割も大きいと思います。この小説の話は四十年くらいわたって、その十人のキャラクターをそれぞれの話をするんですので、もしこの十人の話を順番に書いていったら、ちょっとつまらない作品になってしまうと思っています。ですので、江国先生は、まず年代として分けていて、でも年代ごと順番に書くのではないというやり方でこの作品を完成しました。本の中のその十人のキャラクターが、それぞれ自分の状況や話を語っていくのは、まるで学校で教育を受けたのではなく、家族の間で人の話を聞きながら、成長していくようなことと思いました。その中で、私が一番好きなキャラクターは放浪のおじさんです。このおじさんは、外国からの色なんな珍しい話を子どもに教えてあげました。その小説の中で、一番最後は、「私」という語り手•陸子の口からよく言うのは、書くということは、まるで編みものように話を編んていくのです。この小説も丁度、私読者たちが、一つ一つの断片を縫い合わせてその全貌や最初の形を見つけていました。最後に一つ触れたいのは、「家庭内」という教育の形です。日本と台湾の教育制度がとても似っていて台湾の読者はこの部分を読んでいたとき、きっと、何かの感想が湧いてくると思います。実は、私は小さいとき、学校で勉強するのが大嫌いです。一番嫌なのは、学校という私たちを教育する場所は、実は私たちの性格を歪ませたのです。私の中学のとき、先生たちがテストの基準を決めていて、その基準の点数がひとつ足らないと、体罰を与えられたんです。実は、いま私はまだ五百点以上足りなかったんです。ですから、この本の中でそのテーマの一つ、愛と自由で人と人の関係を縫いていくのが好きでした。ありがとうございます。

白水紀子:

ありがとうございます。江国さんはどう思いますか。

江国香織:

とてもありがたいです。そして、私も学校での教育が大嫌いでした。次は、「学校大嫌い」大会をしましょうか。いっばいの話ができます。

白水紀子:

ありがとうございます。それでは、蔡素芬さんに江国さんの『金米糖の降るところ(金米糖灑落的地方)』について感想をお伺いしたいです。『金米糖の降るところ』は爽やかな不倫の話です。

蔡素芬:

台湾では、江国先生の作品は沢山訳されて出版されているですね。私の娘も江国先生の読者です。この『金米糖の降るところ』では、江国先生は二つの象徴を使って上手に表現したんです。一つは「金米糖」で、もう一つは「真実ちゃん」というキャラクターです。小説の中ですね、東京とブエノスアイレス(Buenos Aires)というかなり離れた二つの場所があって、東京で金米糖を地上に降ると、ブエノスアイレスまで至ってその金米糖を受け取った人たちは、お互いの気持ちが通じるということが小説で描かれている。小説の中、姉妹が同じ男性に好きになってその男性を共有したり、最初はお姉さんのほうが自分の夫を妹に譲ったんですが、こういう反応は嫉妬というのか、それとも愛情の反応というのか。本の中で、佐和子が居た東京の家に真実ちゃんという女の子が来てこの女の子は十字架という象徴であって、それは、女性が家庭や婚姻を求めているとき、うまくいかなかったことや不満があるという真実があります。そして、女性が自分の十字架を背負っていて家庭や婚姻の中に真実の自分を向き合わなければならないと思いました。小説の中で、男女の複雑な感情や背徳を書いていて、でも複雑な感情に対して、自分が直面しなければならないという勇気が必要だと私は思いました。

白水紀子:

ありがとうございます。

江国香織:

とても感謝です。蔡先生に私の本をこのように丁寧に読んでいただいて誠にありがとうございます。この本を書いたのは随分前ですね、そうだったねって聞きながら、内容を思い出していました。

白水紀子:

さき蔡さんがおっしゃた愛と男女関係について、江国さんの小説には、不倫と浮気というテーマが多いですが、実際には最初巴代さんがご紹介になった小説のように、この「不倫」がなくても、成立できるような話がなっていて、非常に広い意味の「愛」を語れる小説の形です。たとえば、蔡さんがおっしゃた主人公の姉の話ですが、わざとこの風に書いたのではないでしょうか思いましたけれどう、実際はどうでしょうか。

江国香織:

この小説では、姉の部分を特に書いていないので、ただどうな小説を書こうときは、すべでが分かってしまうとか、すべでを書こうとするとかということし考えていないのか、あまり良い書き方ではないでしょうと思う。そして、確か「不倫」が色なん小説で出てくるんですが、この不倫は、不信感という不明な感じから出てきたんです。恋人とか、親友とか、曖昧なので、疑われたという関係があります。そして不倫も、結婚した人に好きになったと指します。不倫という言葉は、倫理に合わないとか、言葉によって限定されているのが嫌なので、それもいつも意識していています。

白水紀子:

ありがとうございました。最後になりますが、台湾の作家の三人の方々が自分の作品について少し紹介を頂ければと思います。江国さんは、二月の頃に、すでに『なかなか暮れない夏の夕暮れ』を完成しましたが、おそらく次の作品をお迎えになるのではないでしょか。今度は、台湾の作家の三人の方々が自分の作品や創作について紹介をいただきたいと思います。時間の関係で、一名ずつ三分でお願いします。

巴代:

私はですね、部落の仕事をしていてるかたわら、小説も書いています。ですから、いつも歴史から、テーマを探し、小説を書いています。この上下2カの作品ですね、36万字を書いて、二次大戦の台湾を絵描いています。しかし、この小説の中では、子どもの成長、戦争、歴史、愛情などについて、様々のテーマを語っているんです。いまの私、大体毎年一冊や二冊の小説を完成するというペースで本を出版しています。最近書いているのは、1860年代の台南を舞台として、主に男性同士の同性愛の話です。来年の二月から、1896年に日本の天皇が台南に訪れることを背景としての話を書き始めようとします。そして来年も、1871年の琉球人が殺されたことに関す小説を日本で出版することができると思います。本日、皆さんと会えるのは、とても嬉しかったです。ありがとうございます。

呉明益:

私の小さいとき、兄は鷹を飼っていたんです。でも、そのことについて、あの時まだ小さいから、あまり記憶がはっきりしていないです。一番印象深いのは、あの鷹が私たち子どものお小遣いをすべて食べてしまいました。あるお正月のとき、兄に「昔、本当に鷹を飼ったことがありますか」と聞いたら、兄は、「はい、飼ったんですね」と答えてきた。私は別の言い方を変えて、もう一度兄に「まさか鷹を飼ったん?なぜ?」と聞いてみました。兄は、「買ってきたよ、あの鷹は。永楽市場から買ってきたんだ。実は、あの時、もともと虎を買おうつもりけど。」と答えた。兄は高校三年生のとき、大学進学のプレジャーで、当時同じ進学名門校の同級生と一緒に永楽市場に遊びにいきました。とても不思議で、主に布を取り扱う市場なのに、その中のある売り場で、鷹、虎、オランウータンを売っている。それで、兄と友たちが一匹の虎の子を買って、ある友人の家で買いたいと思っていたんです。虎の子が大きくなってこの虎を連れて、台北駅から西門町まで散歩していったら、きっと格好いいと兄と友たちが思いました。虎の子の値段は二万台湾円でとても高くて、兄と友たちは、もし一人つづに三千台湾円を稼げたら、一年以後、七人で稼んたお金に合わせて、この虎の子を買おうと決めたんですが、結局、一年を経って、もう虎の子を買うことができなかった。なぜがとう言うと、一年後、あの虎の子はもうとても大きくなって、買えなかったんです。ですから、その代わりに、兄が鷹を買いました。それで、「あれから、あの虎はどうだんたのか」と兄に聞いた。十年後、台北の華西街というところで、虎が殺されたという場面を見ました。虎を殺して分解した人は、一時間をかけて、虎の血を流れ、皮を剥いて、一つひつの肉を切って、骨までも分解していましてから、現場の人は、虎の肉や皮などの各部位を買っていったんです。実は、私の兄も、かなり放浪な人て、兄は私を見つめて、「もしあの時、あの虎が殺されなかったら、いくらのお金をかかっても、必ずあの虎を買ってやると思ったんですが、虎はもうに死んちゃった」と言いました。

蔡素芬:

先ほど、呉さんの話を聞いて、呉さん一家にとって、その兄はマジック師だねと思いました。私いま、ある空間デザインナーの話を書いています。ある日、このデザインナーは絵を買って、その絵の中にいろんな物がある家を描いてある。彼は、その家のドアノッカーを触って、絵の中の家を入ってしまいました。彼は絵の中に入って、いろんな物を見つけて、そのものや骨董を取り出して、骨董屋をやり始めたんです。ある日、とてもおしゃれで綺麗な女性客が店に訪れ、彼女はドアノッカーを探したいと言って、しかも非常に高い価格を出しました。ですから、デザインナーは絵に入って、ドアノッカーを取り外してその女性に売りました。しかし、ドアノッカーを取り外してから、もう二度と絵に入れないことを気づいてしまい、そのデザインナーはドアノッカーを取り戻しようと女性客を探し続けていました。その同時、デザイナーも自分に問いかけていました。絵の中のものを取って売るのは、道徳的に正しいなのか、もし知られたら、法律の責任を問われるでしょうか、と自分に問いかけていました。そのような話に通じて、19世紀末の買い物の歴史と歴史の関連を述べて、この小説で日本の九州について書いています。この小説で日本を描くのは、初めてなんです。私は九州が大好きです。しかし、まだ書いていて完成していないものですので、これについて述べるのは大変危険だと思います。私、この小説を完成したいですが、いつ完成できるのかまだ分からないと思いますね。

白水紀子:

僅かな時間ですが、本当にありがとうございました。本日、ご対談になりました江国さん、巴代さん、呉明益さん、蔡素芬さん、ありがとうございました。